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『はぁ? そんなん知らんがな!』・・・というお話。 [その他]

最近、どうも耳にすると“イラっ!”としてしまう言葉がある。

その言葉は、まずテレビを観ている時にしか耳にしないので、
つまりテレビに出ている人が使っている言葉であるわけで、
普段、あなたがボクに向かって言う事はまずないと思うから安心してほしい(笑)。


・・・・・・・(それって何かと言うとね)










・・・・・・・(もったいぶってます。)










・・・・・・・(はいはい、今から言いますってば。)










『やさしい味』








これだ。(なんじゃそりゃ!)

番組中のグルメレポートみたいなシーンでは、
結構な頻度でこの言葉が使われているような気がする。
もちろん、数年前から急に使われるようになった事もあって、
『何をいまさら・・・』と思っている人もいるかもしれないが、
ボクはずっと我慢して来たのだ。
けれども、最近はもう耐えられなくなって来た。

女芸人が

『うわぁ〜、やさしい味ぃ〜♪』

なんて言いながら
どこぞの店のおすすめ料理とかを大袈裟に喜んで食べている姿を見ると、
そっちに行って、彼女の弁慶の泣き所を
ドラムのスティックで『コツンっ!!』とやってやりたくなる(笑)。

特に『いとうあさこ』とか、『北陽・虻川』とかが言っていると、
全然嫌いな芸人さんではないのだけれど、なぜかどうしようもなくイラついて、
テレビを消して、自分の部屋に戻ってギターを手にし、
『ハイウェイ・スター』の間奏を弾きまくってしまったりもする(意味不明(笑))。





この『やさしい味』という表現を最初に言ったのは誰なんだろう。
“インターネットのヤホー”で調べてもわからんかった(ナイツかっ!(笑))。

おそらく、グルメレポートをよくやっているタレントさんが、
自分のボキャブラリーの中から繰り出せる表現に限界を感じて、
『このままでは他の同じタイプのタレントに負けてしまう。何とかしなければ』
という危機感の中で、ひねり出した言葉ではなかろうか。

誰かなぁ。やはり石塚さん?(笑)
知っている人がいたら、ぜひ教えて欲しい。





『やさしい味』

これは、本来はきっと

『素材の味がよく活かされている味』
『塩分を抑えてはあるが、ダシが効いて深みのある味』

というような解釈で正解だったのではないだろうか。

ボクも最初にこの言葉を聞いた時には、
その聞こえが新しかったし、
何となく良い意味での解釈で理解できたものだから、

『へぇ〜、うまい事言うなぁ。』

なんて思ったものだ。

けれども今ではどうだろう。
頻繁にこの言葉が使われてしまうようになった事により、
その場しのぎの適当に発せられるワードに
成り下がってしまってはいないだろうか。

『素材をただ煮たり焼いたりしただけの味』
『薄味で、可もなく不可もない味』

といった感じにしか聞こえてこないではないか。


食べたものの、これといって特長も無く、
決して美味しいわけでもない。
しかし、とりあえずテレビだから『マズい』とも言えず、
当たり障りの無い事を言わなくてはいけないといった状況下での
安全牌として、『やさしい味』が使われ過ぎてはいないか。

アナウンサーまでもがこれを平気で使うようになっている現状は、

『やさしい味の飽和状態』

とも言えるのではないか(大袈裟)。




結果、この言葉が出た時点で、

『なんだ、美味しくないのか。』

とボクは解釈するようになってしまっている。
まぁ、それが本当ならば、逆に有難い情報となるのかもしれないが。

イラっとする原因は、結局ここにあるのだ。
『マズいのならマズイと言え!』って事である。言えるわけないんだけど(笑)。
テレビだからと、誤魔化す方法として、
『やさしい味』
という言葉を使って逃げてんじゃねーよ!って事である。
誰かが必死に考えて生み出した言葉を、
陳腐にしてしまうような、安っぽい使い方してんじゃねーよ!って事なのだ。



こうなったら、

『やさしくない味』

とかも言い始めてみたらどうか。
何となく魅力的な言葉に聞こえてこないだろうか。


デート中、彼女にちょっぴり意地悪を言ってみる。すると彼女は

『もう! やさしくないんだからぁ・・・』

なんて言いながら可愛くスネてみせる。
でも、彼女は彼の事が大好きなのだ。
女性は好きな男性のタイプを聞かれると大抵、

『やさしい人』

と答えるが、
やさしいだけの男性を好きになりますかと聞けば、

『やさしいだけでは“物足りない”』

と答える女性も多いのだそうだ。
そんな事から想像すると、この

『やさしくない味』

というのは、
少し攻撃的な、でも再び口に運びたくなるような、
女性にウケそうな味っぽい(なんじゃそりゃ(笑))。


う〜ん、他には何かないかなぁ。







『やさしい街』
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“人にやさしい街づくり”をスローガンに、愛知県では積極的に取り組んでいるそうだ。



『やさしい悪魔』
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ボク達の年代なら知ってて当たり前、キャンディーズの代表曲だ。



『やさしい雨(優しい雨)』
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キョン2 こと小泉今日子さんの歌だ。



『やさしい気持ち』
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Charaさんの歌だ。ボクの大好きなギタリスト“Char”とよく見間違う(笑)。



『やさしい風』
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ビニールのプロペラが付いた、電池で動く小型扇風機だ。
あんなもん役に立つのかと思うが、猛暑だったこの夏は、
結構いろいろな場所であれを持つ人を見かけた。
東ベンのTakuちゃんも持っていたっけ(笑)。



『やさしい雪』
(画像が無いので、皆さんで想像してね(笑))
クリスマスの聖なる夜なんかに降って来たら、
わけもなく涙ぐんでしまいそうだ(笑)。
シンデレラ・エクスプレス状態である。



あ、話が完全に脱線してる・・・




そんなわけで、『やさしさ』なんてものは、
ここぞってトコで“スッ・・・”っと出すくらいが効果的なんだよね。
普段は、『ワイルドだろぉ〜?』って言ってるくらいの方がウケるんだから。
いや・・・そろそろそうでもなくなって来てる?(笑)       おしまい。
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12月に追いつけ! [その他]

さて、いよいよ2012年も残り1ヶ月を切ってしまった。

この時期、毎年のように言う、

『1年経つの早いねぇ〜』

も、そろそろ本気で飽きて来ているこの頃である。



しかし、ブログの方はまだ8月の想い出から進めよう(笑)。

エド山口&東京ベンチャーズ、
山形での仕事の後は、銀座TACTでの定例ライブだった。

このライブの3日後は、東ベン・ファンの方にご招待いただき、
横浜の八景島マリーナでバーベキューをしたり、夕焼けを見ながらクルージングを楽しんだり、

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夜は花火大会を海上から優雅に見物。
う〜ん、なんてセレブな1日(笑)。


そして9月。
まずはデザイナーとしての仕事。
六本木のスタジオで、ある歌手のCDジャケット撮影。
ここでたまたま、津田バンド(ATB48)でボーカル&コーラスとして参加してもらっている
歌手のERIKOちゃんとバッタリ。
彼女もボクの撮影の後に自身のCDジャケット撮影だったそうで、
思いっきり“ド・スッピン”のERIKOちゃんを見ちゃってから(笑)、
しっかりメークしたERIKOちゃんをパチリ(笑)。

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そんなERIKOちゃんのマキシ・シングル『ゆらら』 は、好評発売中。

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おっと!忘れちゃいけない、エド山口&東京ベンチャーズのニューアルバム
『激突!エレキパーティー2012』〜ベストオリジナル集〜  も、絶賛発売中なので、よろしく♪

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えっと、それからは・・・

そそ、翌日は家族サービスで東京ディズニーランドへ(笑)。

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それからは・・・・・・

う〜ん・・・忘れた(笑)。

まぁ、東ベンのライブがあったり、津田バンドの納涼会でテケテケしたり、
銀座ケネディーハウスで加山雄三さんのライブを観たり、
あれこれこなして、12月になったというわけだ ┐(  ̄ー ̄)┌ フッ(ぉぃ(笑))。

デジカメで撮影してあったりすると、データも残るし、
いろいろ思い出す事もあるんだけど、
そうでないとなかなかねぇ・・・(-。- )

そんなわけで、やっとブログの記事も12月に追いついたという事で、
めでたしめでたしだぜ(笑)。 おしまい。
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猫ちゃん相手にテケテケ [その他]

2日の火曜日、ボクは久し振りにレジャーへ出掛けた(笑)。

この日、6月2日は横浜開港記念日ということで、
横浜市の小中学校は休み。
ウチの巧斗くんも休みとなったので、
元々“出無精”で、土日祝日の外出は何処も混むので絶対に拒絶するボクも、
この日は平日だし、休みなのは横浜市民ばかりだと言う事もあって、
『たまには家族サービスも・・・』なんて考えたわけである。

地元横浜では、この時期“横浜開港150周年”という事もあり、
みなとみらい21エリアでは、大きなイベントが開催されているが、
横浜開港記念日で学校が休みになったわけだから、
この日出掛ける多くの人達は、
おそらくそちらへ足を運ぶだろうと予測し、
『それなら意表を突いて“お台場”へ行こう!』となった(なんじゃそりゃ?)。

とは言っても、お台場と言えば若いカップルで溢れる場所。
あまり家族向けの場所ではない。
ではなぜお台場に行く事になったのかといえば、
巧斗くんが“猫に触れる所に行きたい”と言ったからだ。

ウチはペットを飼ってはいないが、
巧斗くんは大の“猫好き”である。
ウチの奥さんも猫好き。
ただし、ボクだけは“どちらかというと犬派”だった(笑)。

なのであまり気乗りはしていなかったのだが、
今日は“家族サービス・デー”。
ボクは“やさしいパパ役”をこなさなければならない(笑)。

そこで、お台場のデックス東京ビーチにあるふれあいパーク併設の猫専門店
“ねこたまキャッツリビン”に行く事となったのであった。

昼前に車で自宅を出発。
高速湾岸線を走って約1時間でお台場に到着した。
天気も良く、海風が吹いてなかなか気持ちが良い。

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目的地の“ねこたまキャッツリビン”に行ってみると、
客はウチの家族だけのようだった。
店内の“ふれあいパーク”に入場するには、
大人2名で1500円と、小学生1名で600円の、
計2100円を支払った。
時間制限は無いとの事で、巧斗くんが飽きるまでは遊んでいられる(笑)。

入場口で手を消毒し、ドアを開けて中に入る。
最初に“ラブホテルの待ち合い室”みたいな部屋があり(笑)、
すぐに最初の猫を発見。巧斗くんのテンションが上がる(笑)。

小さな猫小屋(?)があちこちに置かれ、
高い所が好きな猫の為に樹木に見立てた台があったりする。
よく見ると、静まり返ったその部屋のあちこちに猫が。
子猫は見当たらず、ほとんどが大人の猫のようだった。
そのほとんどの猫が、“寝ている”だけだ(笑)。

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▲仲良く添い寝する2匹。可愛い〜(笑)

“健康管理上の理由から、だっこは禁止”というのが残念だったが、
寝ている猫の頭をやさしく撫でたりできるだけでも満足気な巧斗くん。
触られるのが嫌な猫もいるようで、近付くと逃げられたりもするが、
慣れた猫は「小僧、ここでは決して騒ぐでないぞ。」と言っていそうな感じで、
薄目を開けて巧斗くんを見ながらも、大人しく撫でられていた。

奥の部屋へ行くと、リビングや書斎、キッチンのセットのある、
普通の民家の1室のような部屋が続いていて、
ここで初めてボク達以外のお客さんを3名発見(笑)。
それぞれの部屋にも様々な種類の猫達は居て、
猫の数は全部で10匹程。

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▲うむ。なかなかのハンサム。

そこへスタッフの女性がやって来て、
「ここにあるオモチャで猫ちゃんと遊んであげてください。」との事。
部屋の隅に、ねこじゃらしが用意されていたので、
さっそくそれを手にして猫に挑む巧斗くん。
“完全無視”の猫達(笑)。

しかし、その中でも比較的“若い”猫2匹が、
“あ〜もう、辛抱たまらんっ!!”って感じで、
とうとう巧斗くんの振るヒラヒラの着いた“じゃらし棒”に食い付いた!(笑)

『こりゃぁ面白い』

ボクも“じゃらし棒”を“テケテケテケ〜”と振って猫と遊ぶ(笑)。
リビングで、右へ左へ猛ダッシュしたり、物凄いジャンプを見せる猫達。
なんとも可愛い。なかなか猫もイイもんだ(笑)。

休日だと、入場者も多いだろうからこんなに広々と使えないのだろうが、
この日はほぼ“貸切状態”。約1時間半、猫達と遊んだが、
昼過ぎにカップルや女性2人組の客が入って来たけど、
ボク達が居た間で一番お客さんが入っていた時でも10人程だったので、
ずっと静かな空間で猫達と過ごす事が出来た。
巧斗くんも、充分に楽しめたようだ。

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▲この日一番の“美人”猫ちゃん。男を誘うこの目つきがたまりません!(笑)

その後は食事をしたり買い物をしたり、“お台場海浜公園”を散歩したりして、
下りの高速道路が混み始める午後6時前に帰路に着いた。

平日のお台場は何処も混雑していなかったし、
こんな時は『自営業で良かったなぁ・・・』なんて思う(笑)。
ボクの場合は“休みたい時に休める”という感じだし。
休みばかりでは困ってしまうんだけどね(笑)。 おしまい。
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【祝・NHK出演!】エレキと言えば、“エド山口&東京ベンチャーズ”なのだ!(ぇっ?) [その他]

今日は唐突に始まるけど、
実は先週、テレビの収録があった。

そりゃぁ、ほとんど毎日どこかのテレビ局で収録はあるのだろうが、
そんな事じゃぁない(笑)。

東ベンも、遂にNHKの番組に出演する事となったのだ(笑)。

NHKのBS2、『日めくりタイムトレベル』という番組に、
エド山口&東京ベンチャーズは出演する。

この番組、毎月第2土曜日の月1番組なのだけど、
毎回、昭和のある1年間のみにスポットを当て、
事件事故から一世を風靡した流行までを、
アーカイブや新映像を駆使して研究、紹介していくトーク番組で、
その年に生まれた芸能人をゲストに迎えたりして、
何と午後8時から午後11時までの3時間も放送されている番組なのだ。

とは言え、3時間の間ずっと出演しているわけではない(笑)。

今回、東ベンが呼ばれたと言う事は、勿論ベンチャーズ絡み。
と、なれば、年代はベンチャーズが大人気で、
世界中でエレキブームとなっていた1965年。昭和40年というワケだ。
その、当時の流行を紹介する1つのコーナーの中で東ベンは登場するが、
基本的にはエドさんのトークが中心となるので、
他のメンバーが出てくるのはほんの数秒・・・かもしれない(笑)。

何しろ、当初は東ベンではなくエドさんだけの出演予定が、
2月の銀座TACT定例ライブに番組スタッフが来てくださって、
ライブを観ていただいた事があってか、
急遽、“バンドのメンバーも”という事になったようだ。
なので、エドさん以外は“エキストラ”みたいなモノだわな(笑)。(^^;

収録場所は、都内の小さなライブハウス。
そこでベンチャーズのナンバーを東ベンが演奏しているシーンを収録した。

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我々の他には、昭和40年生まれの藤田朋子さんも参加。
そして、モト冬樹さんも収録半ば頃から参加。

御存知の通り、エドさんと冬樹さんは実の兄弟だけど、
エドさんと一緒にバンドの仕事をさせてもらってもう8年を過ぎたが、
ボクは冬樹さんに御会いするのは今回が始めてだった。

『やっぱり兄貴と一緒ってのは、何か嫌なんだよなぁ。
どうしても(芸能人としての)スイッチが入らないって言うかさぁ、
家族と一緒の時の素の状態になっちゃってさぁ・・・』

現場にやって来た冬樹さんの第一声が、上のボヤキである(笑)。

その冬樹さんとも一緒に演奏したが、オンエアーされるかわからないけど、
個人的にはイイ思い出になった(笑)。
エドさんも、兄弟揃ってベンチャーズを演奏したのは
久し振りだったんじゃないかな?

さて、この日の収録のほとんどは、エドさんと藤田さんのトーク。
そこへ冬樹さんも加わっての昭和40年当時の思い出話しだ。
ライブハウスの一角を使って、3人が椅子に座り、
“あの頃俺達はさぁ〜”ってな感じで会話がはずむ。
残ったボク達はステージに残って見学(笑)。

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エドさん的に言えば、普段からライブの中でよく話している話題だし、
“テケテケ・サウンド”についての考察等については、
DVD『バンドテクニック向上委員会』の中でも触れているので、
台本も何もなくても、次々に話題を展開させていた。

ところが、それがアダになる時もあった。
遠い昔の事も、こと細かに記憶しているエドさん、
その完璧とも言える記憶から、会話の中にやたらと“企業名”が出て来る(笑)。
近年になって、いくら規制が緩くなったNHKと言えども、
さすがにあれだけ出た企業名を全てオンエアーは出来ないだろう(笑)。
エレキギターについての話題時、ボクの使っているギターも参考というカタチで撮ったが、

『これは最近“アリア”に作ってもらった清原君のモデルなんで、
当時のギターではないんだけどね。』

なんてエドさんが言ったものだから、
「あ〜ぁ、ココ、絶対カットだ・・・」
と思った(笑)。

午前中から収録を始めて、終わったのは午後4時くらいだったか。
エドさん、冬樹さん、藤田さんのトークの収録後は、
再びステージで演奏するボク達の収録。
それから、演奏中の手元のアップ等のカット撮り。
冬樹さんは次の現場に行かなくてはならなかったので、
ココでさようなら。
ボク達もバタバタしていたので、
写真を撮るタイミングが無かった(残念!)。

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さてさて、こうして収録を終えたボク達だけど、
どのように編集されているのだろうか楽しみである。
皆さんも是非見てくださいね〜♪  おしまい。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

NHK BS2『日めくりタイムトレベル』【昭和40年】
4月11日(土) 午後8時〜午後11時放送

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

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振り返るな!立ち止まるな!! 前を見て走れ!! [その他]

皆さんは、幼少の頃の記憶というと、
何歳くらいの時の記憶からあるだろうか?

今回も過去を振り返る話題になってしまうけど(笑)、
人間の脳の中で記憶を担当している“海馬”という器官は、
生まれてから3年程で完成され、
本格的に機能すると言われているらしく、
よって多くの人は、この“海馬”が機能し始める
3歳くらいからの記憶が残っている事が多いそうだ。

しかし、中には自分が胎児だった頃の記憶があるという人もいる。

ウチの巧斗くんは現在7歳だが、
彼は母親のお腹の中にいた頃の記憶があると言う。

『すごく狭かったので、よくあちこち蹴ったりしていた。』

『パパやママの声も聞こえた。音楽も聞こえた。』

これは今から2年前、つまり彼が5歳の時に、
ボクの質問について答えた彼の言葉だ。

これは、“海馬”がまだ機能する前の記憶になってしまうため、
となると、何か脳の別の部分に記憶されていたのだろうか。
しかしこの記憶も、彼が年齢を重ねていくうちに
薄れて、消えていってしまうのかもしれない。


そしてボクの場合、ハッキリとした記憶として残っているとなると、
小学校3年生の頃からになってしまう。

ボクは茨城県の母の実家で生まれ、
その後すぐに東京都北区赤羽の団地で5歳まで過ごした。
小学校入学前に、神奈川県藤沢市に引っ越すが、
赤羽に住んでいた頃の記憶が、全く無い。

そして藤沢に移り住み、小学校入学となるのだが、
例えば入学式の記憶とか、
小学生になったばかりの期待感とか不安感とか、
そういうドキドキもあったハズなのに、
その記憶も全く無いのである。


という事は、
ボクの“海馬”は、8歳になってようやく完成したって事だろうか?(笑)
平均より5年も遅く?
だったら、ボクはボケてくるのも
平均より5年遅くなるのかな?(笑)


人間の脳のしくみは本当に神秘的で、
まだまだ解明されていない事が多いようだから、
はっきりとした原因はわからないと思うけど、
ボクには密かに確信している事がある。


これはまだ、誰にも言っていない事なのだが・・・・・・・




きっとボクは、
幼少の頃、宇宙人にさらわれて、
何らかの人体実験を受けた後、


記憶を消された・・・・・・・・・・・・・・・のだ。


そうなのだ。そうに違いないのだ!(さぁ、みんなついて来て!!(笑))


では、具体的に何でそう思うのかを書こう。

ボクは時々、突然耳が“キーン”となる事がある(なんだそりゃ(笑))。
突然“キーン”という音が聴こえる・・・とも言うのか、
ただし実際にそういう音が鳴っているのが聴こえるというのも違うし、
耳鳴りというのも違う。

これはきっと、ボクとある一定の距離に近づいた
【U.F.Oの音】
に違いない・・・と、思っている。
宇宙人が、定期的にボクからのデータを採る為に、
U.F.Oで近くまでやって来くるのだが、
その時の音が、ボクに仕込まれた発信器と共鳴してしまうのだ。

発信器??

そう、ボクの体内には、
宇宙人によって発信器が仕込まれている。

それは何処か?

左耳・・・・・・・である。



(あの〜・・・・・・続けても・・・・・・・いい?(笑))



いやいや、本人は結構“マジ”なのだから、是非聞いて欲しい(笑)。

ボクの左耳の“ある部分”からは、
1本の“毛”が生えているのだが、
これが“有り得ない”場所なのだ。

耳ならば、“うぶ毛”なら誰でも生えているだろう。
しかしボクのその1本の毛は、太く、黒く、カタい(妙な想像をしないように(笑))。
長さは1〜2mm程。
いつも気味悪いので毛抜きで抜いてしまうのだが、
しばらくすると必ず生えて来る。そして、2mm以上に長くはならない。

その場所だが、言葉だと説明しづらいので、
デジカメで撮影したが、あまり近づき過ぎると画像がボケてしまうのと、
毛の長さが短すぎて、鮮明な画像は撮影できなかった。
結局、その“毛”は写っていないのだが、
場所は記しておいた。

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丸で囲った中、V字に鋭角になっている部分だ。
Vの、一番尖った部分から生えてくる(わかるかなぁ?)。
こんな場所に1本だけ、
毛が生える人が他にいるだろうか?

おそらく、ココに超小型発信器が仕込まれているに違いない。
そしてこの“毛”は、発信器から伸びる“アンテナ”なのだ!!
(ここで、木曜スペシャルの音楽が流れる)


この話、
信じるか信じないかは・・・・・

あなた次第です・・・・・・。 おしまい。
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1985年のブルース [その他]

12月だ。


ボクだけではなく、皆さんも毎年言ってると思うけど、

『1年って・・・本当に早いよねぇ・・・』

である。



“毎年言ってる言葉”だが、その他には、

『今年の風邪は、しつこいらしいよ。』 とか、

『君は、花粉症、大丈夫?』 とか、

『去年もこんなに暑かったっけ?』 とかがある(笑)。



さて、先月ココにいただいたコメントのレスで、
エドさんが自ら歌う『六本木ララバイ』の
リリースが1985年という事から、
その頃のボクは・・・という話しをチラっと書いたが、
今日はもう少し詳しく書こう。

1985年・・・。昭和だと60年。
当時の事をちょっと調べてみたが、
この年の出来事で今でもボクが覚えていたのは、

●プロ野球 阪神・巨人戦で、巨人の槙原投手から、
 阪神のバース・掛布・岡田の3選手が
 バックスクリーンへのホームラン3連発(4月17日)

●豊田商事会長が、自宅マンション内において、
 マスコミの取材中にやって来た暴漢によって刺殺される(6月18日)

●日本航空123便、墜落事故(8月12日)

●ロス疑惑、三浦和義逮捕(9月11日)

●女優・夏目雅子さん、白血病により死去(9月11日)

●阪神タイガース、日本シリーズで西武ライオンズを破り日本一に(11月2日)

・・・等であった。
勿論、日付けは調べただけで、そこまでは覚えていない(笑)。

その他にも 東北新幹線の大宮〜上野間が開通(3月14日)とか、
松田聖子と神田正輝の結婚(6月24日)とか、
乗用車の前席シートベルトの着用が義務化(9月1日)とか、
『夕やけニャンニャン』放送開始・『8時だョ!全員集合』放送終了とか、
言われれば『あぁ・・・そうだったなぁ・・・』ってのもあったけど、
やはり“豊田商事事件”、“123便墜落事故”、“三浦和義逮捕”は、
連日、テレビで朝から晩までもの凄い報道がされていたので、
誰もがよく覚えているのではないだろうか。

そして、その1985年当時のボクだけど、
年令は23歳。無職(笑)。
アルバイトをしながら、プロのミュージシャンを夢見て、
いくつかのバンドを掛け持ちしながら活動していた。

実はこの頃のボクは、ドラマーだった。
始めたのは中学生の頃に覚えたギターの方が先だったが、
18歳くらいの頃から、ドラムを叩く事の方が
ギターを弾くより楽しくなってしまい、ドラマーに転向。
その後はずっとドラマーとしてのみバンド活動をしていた。
ローンで購入した立派なドラムセットも持っていたし(笑)、
プロに教わったりもしたりと、結構本気だった(笑)。

アルバイト先にもドラマーとしてバンド活動をしている先輩がいて、
よく夢を語りあったり、ドラムのコツを色々教わったりしたものだ。
先輩はその後、夢を掴んでプロドラマーとなり、
当時は人気絶頂(笑)の田原俊彦さん専属バンドの
メンバーになったりしてボクを驚かせた。

ボクはと言えば、“黄連雀(きれんじゃく)”というバンドで、
ライブやコンテストに参加したりしていた。
女装したり、羽織袴を着たり、
バカでかい“セブンスター(煙草)”の箱を背負ったりと、
奇抜なステージ衣装や、コミカルな歌詞・メロディーの
オリジナル曲を演奏するバンドだったが、
ボクは“コミックバンド”では無いと思っていたし、
今もそう思っている(笑)。

ライブでは“ウケ”も良かったし、
コンテストに出ればそこそこの順位までは行くのだけれど、
どうしてもそこから先へ進む事が出来ず、
メンバーの就職など、“時間切れ”という現実もあって、
残念だったが、この年をもって解散してしまう。

しかしボクは、まだまだプロへの道を諦めきれずに、
他の複数のバンドで、ひたすら活動を続けていた。
“黄連雀”で一緒だった1つ歳下の福山芳樹というギター弾きも、
やはりプロを諦めずに頑張っていて、
彼とも一緒に組んで曲を作ったりもしていたが、
どれもうまくは行かなかった。

それから5年後くらいだったか、
ボクも遂に
「プロへの道は、もう諦めよう・・・」
と決断し、就職する事となる。

この頃、福山から
『新しく組むバンドでドラマーを探しているので、また一緒にやりませんか?』
と誘われたが、バンドマンになる夢は諦めると決断したばかりだったので、
嬉しかったのだが断った。

結局福山は別のドラマーを探し、あるオーディションで最優秀賞を受賞、
遂に念願のプロデビューを果たす。

「しまったっ!! あの時、一緒にやるって言っておけば良かった!!」

後悔先に立たず・・・である(笑)。

しかし、元同じバンドのメンバーだったし、
ボクも凄く嬉しかった。
デビューアルバムは、ちゃんとお金を出して買ったもん(笑)。

福山はその後、アニメソングを歌って大人気となり、
バンドは解散してしまったが、今もソロで活動している。

ボクもそれからかなりの年数を経て、
リズムギタリストとして東京ベンチャーズに加入させてもらえ、
一応はプロの“端くれ”となれたわけだが(本当に“端くれ”だけど(笑))、
考えてみれば5人編成のアマチュアバンド“黄連雀”から、
のちに2名がプロになれたのは、凄い事だと思ったりする。

2年程前に、久々に黄連雀のメンバーで集まって、
スタジオに入り音を出したが、楽しかったなぁ。

今はもう、それぞれの家庭も仕事も持って、
それぞれの道で頑張っているけど、
集まればただの音楽好き。
いくつになってもバカ騒ぎが出来る。

ボクにとって1985年は、
ドラマーだったボクが、
一番頑張っていた年だったような気がするなぁ・・・。


ぁっ、いけね!
当時を思い出しながら話しを進めていたら、
なんだかちっとも面白くない話しになっちゃった?(苦笑)
“オチ”も無いしなぁ・・・しまったなぁ・・・。(^^;  おしまい。

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▲東ベンライブのリハーサル時に、ドラムを叩いて遊んでるボク(笑)。【Photo:角丸賢佑】

では、巻末ふろく(?)で、当時の主なヒット曲を紹介。
この年って名曲が多いよね。
貴方の1985年の思い出は?

●中森明菜「ミ・アモーレ」
●小林明子「恋におちて -Fall in love-」
●C-C-B「Romanticが止まらない」
●チェッカーズ「あの娘とスキャンダル」
●安全地帯「悲しみにさよなら」
●松田聖子「天使のウィンク」
●薬師丸ひろ子「あなたを・もっと・知りたくて」
●中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」
●杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」
●サザンオールスターズ:『Bye Bye My Love 』
●TOM★CAT「ふられ気分でRock'n' Roll」
●アン・ルイス「六本木心中」
●HOUND DOG「ff(フォルティシモ)」
●レベッカ「フレンズ」
●大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」
●尾崎豊「卒業」
●おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」
●岩崎良美「タッチ」
●荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」
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3ヶ月に1回の日。 [その他]

舌を噛んだ。

夕食中、おかずを口にして噛んだ瞬間、

『ガリっっ!!』

という感覚と激しい痛み。
と 同時に、

「くそっ!! また やっちまったか!!」

という後悔と自分への怒り(苦笑)。

今回は、舌の右端の方をかなり思いっきり噛んだ。
ティッシュをあててみると、当然の如く出血。
しばらく箸を置いて痛みに耐えていた。


皆さんも食事中に誤って
自分の舌を噛んでしまった事はあるだろう。
しかも、1度や2度ではないハズだ。

しかし、1年単位で考えると、何回程になるだろうか?

ボクは、年4回ほど。
つまり、およそ3ヶ月に1回は舌を噛んでいる事になる。

ただし、今回のように思いっきり噛んでしまうのは、
その4回中1回で、
あとは“ググっ!”って感じで舌を噛みそうになった瞬間、
噛むのを中断する事によって最悪な事態だけは回避したり、
本当に舌の端のさらに端の方を“ちょっと”噛んでしまう程度だ。

それでも、自分で自分の舌を噛むというような、
言わば“ひとりSM”のようなこんな愚行は(笑)、
本来なら一生の内で1度、あるか無いか程度というのが、
人として正しいのではないのか・・・なんて思ってしまう(笑)。

よって、1年に4回も誤って自分の舌を噛んでしまうボクは、
きっと平均的な“人が1年間で舌を噛む回数”より
かなり多いに違いないと思っている。

では、その原因は何か?

皆さんも確認して欲しい。
通常、舌というのは下の歯が生え揃っている内側に“収納”されている。
もし、下の歯を真上から見れたら、U字に見えるだろう。
Uの、カーブしている部分は前歯になり、
Uの書き始めと終わりの箇所は奥歯だ。

舌は、その内側に同じようにUのカタチをして存在している。
歯並びのカタチのUより小さいUになっているわけだ。
だから、上の歯と下の歯が噛み合う時も、
舌はうまくその中の空間に収まっていられるというワケだ。

舌が大きかったらどうなるのだろう。
つまり、歯のU字と舌のU字の大きさが近い場合だ。
舌の横幅が広い・・・と想像してもらうとわかりやすいか。
収まっている舌と、生え揃った歯との“すき間”が狭くなる。

これは危険だ。少し気を抜いて舌が左右どちらかにブレれば、
間違いなく上の歯と下の歯に挟まれて、つまり舌は噛まれてしまう。


ボクの舌は、このパターンではないのだろうか?


今までそんな事を考えた事は無かったし、
今回、たまたま思いついた事ではあるのだけど・・・。

だって、ボクの場合、
自動車のハンドルの動き方なんかで使う、
いわゆる“あそび”の部分はほとんど無い感じなのだ(笑)。
いつも“紙一重”で舌を噛まずに食事している感じ。
やっぱりボクの舌は普通の人の舌より・・・・・・なのか??


ボクは今まで誰からも

「清原の舌はデカい」

と言われた事はない。

ただ、そんなに自分の舌を他人に見せた事もないし、
舌の大きさとか横幅とか、
他の人ときっちり比べたりした事も無い。
なので、実際のところボクの舌の大きさが
他の人達と比べてどうなのかはわからない。

舌の“長さ”で言うと、これは平均より若干“長い”かもしれない。
KISSのジーン・シモンズや、デーモン小暮閣下のように舌を伸ばすと、

「お〜! 似てるねぇ。」

と、言われた事は何度もあるからだ(おバカ(笑))。

ちなみにボクは、舌を折りたたむ事が出来る。
舌先をノドの方向に折り曲げると、
舌の表と折り曲げた舌の表がピタっと着いてしまう。

これは舌が長いから出来るのではないかと思っているが、
実際は無関係かもしれない(ぉぃ)。

しかし、長い舌が原因であれば、
舌先を前歯で噛んでしまう事が多くなりそうだ。
でもボクは、舌先を噛んでしまったという記憶は無い。
いつも舌の左右どちらか、端の部分を噛んでしまっていた。

となると、やはり舌の“横幅”が関係しているのだろうか。

そういえばこないだ、TV番組“笑っていいとも!”を観ていたら、
“ビックリ人間登場!”みたいなコーナーがあって、
舌がデカいという若い男性が登場したのだが、
あれはすごかった。

舌の幅も、ものすごく広かったし、
なんだか舌の厚みも普通の人の倍くらいあるように見えた。

正直、アンバランスな舌のデカさと、
色とかも濃い紫っぽかった事もあって、
どちらかというと“グロ”さにビックリしてしまったが・・・(-_-; )

あの人なんて、年がら年中舌を噛んでいそうだ(笑)。



すっかり話が逸れてしまった・・・・・(苦笑)

さて、思いっきり噛んでしまったボクの舌だが、
血はわりとすぐに止まって、
痛みも普通にしていればあまり感じなくなった。

しかし、熱い食べ物とか、汁物を口にすると
噛んでしまった箇所にシミて、これがまた痛い(泣)。
舌用の絆創膏って、無いのかねぇ?(苦笑)

そんなワケで(笑)、
ボクの舌って、一般の人の舌と比べてどうなんでしょ?
良かったら、いろいろ比べさせてもらえません?

ぁっ、対象は、女性限定ね(なんで?)。    おしまい(笑)。
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“エッチな友人”のおはなし。 [その他]

先日、久しぶりに“BOB”服部から電話が来た。

・・・えっ? “BOB”服部って誰だって? うそ!知らないの?(笑)

では、一応説明を。

“BOB”服部は、ボクの古い友人で、
それこそ付き合いはボク達が小学校3年生の頃からになる。
そして、かなり“エッチな男”である(笑)。

“BOB”ってのはボクの“DON”と由来は一緒で、
ベンチャーズのメンバーの名前から勝手に付けただけなんだけど(笑)、
ボクが東ベンに加入する以前、
アマチュアでベンチャーズのコピーバンドを演っている時に、
TAKE-FIVEというバンドで一緒に活動をしていた。
彼はベース担当で、ベンチャーズ仲間の間では有名だったし、
腕前も相当なものだった。
「一緒にプロになれたらいいな」と、よく話をしたりもしたものだが、
現在の彼は福祉の仕事に就き、音楽は趣味として続けている。

その後、TAKE-FIVEの活動は無くなってしまったんだけど、
“BOB”服部(以下は“ヤツ”とする(笑))とは元ベンチャーズのリードギタリストの
ノーキー・エドワーズ氏とのライブや、Dr.K Projectさんとの共演など、
プロミュージシャンとのステージで何度か一緒に演奏する機会があった。

しかし、それももう数年前の話で、
ボクは東ベンの仕事でずっとバンド活動を続けているのだが、
ヤツはこの数年の間、いっさいバンド活動をしていなかったのだそうだ。

そうなると、ずっと自宅の部屋でひとり楽器を弾いていても退屈なワケで、
たまにはスタジオに入って大きな音を出してみたいとか、
たまにはバンドでライブをやりたいとか、
そういった欲求が、必ずいつしか湧いて出て来てしまう。
ヤツは“エッチ”なので、ずっと部屋でひとり●●をしているより、
たまには●●で●●してみたいとか、
たまには●●で●●をやりたいとか、
そういった欲求と同じ感覚で湧き出たに違いない(笑)。

そこでヤツは、たまたまインターネットで見つけた
“バンドメンバー募集”のホームページに書き込みをしたのだそうだ。
ヤツは“エッチ”なので、これも出会い系サイトに投稿して、
どこぞの人妻と会う約束をする・・・といった感覚に似ていたのかもしれない(笑)。

するとしばらくして、ベース担当のメンバーを探しているという人から
連絡があって、「近所だし、一度会いましょう」という事になった。

連絡をくれた人は、年齢が50〜60代で構成された、
ベンチャーズ等を主なレパートリーとするバンドのリードギター担当で、
バンドは結成して15年になり、月に1回スタジオに集まって音を出したり、
年に数回のライブを企画する事を活動として来たとのこと。
いわゆる、ごく平均的な“おやじバンド”として
趣味の音楽を楽しんでいる人達だ。
ヤツは“エッチ”なので・・・って、いい加減もうヤメよう(笑)。

ヤツも、
「では1度、一緒にセッションでもしましょう」
といった内容で返事をし、14日の日曜日に、
先方が集まるスタジオで会う事になったそうだが、
なぜかボクに電話をしてきて、

「一緒に行かないか?」

と言ってきたワケだ。“子供かっ!!”つ〜の!!(笑)。

まぁ、ヤツには久しく会っていなかったし、
会うと、夕食は決まって“焼肉”になるのが定番だった事もあって、
ボクは“付き添い”として同行する事にした(笑)。

約束の場所は、ヤツの自宅から車でおよそ20分の距離だった。
スタジオの場所が何処なのかわからなかったので、
電話を入れて外に出て来てもらったのだけど、
ボクが車から降りると

「DON清原さん・・・ですよね?」

と、少し驚いた表情で声をかけてくれた。
うへへ・・・ボクも少しは有名になったか?(笑)

それで、その“スタジオ”だけど、
メンバーのひとりの“自宅スタジオ”だった。
1階の一部屋を防音にして、そこに申し分の無い機材を備えた、
広さも充分な立派なスタジオだった。

ヤツもボクも歓迎を受けて、まずはお互いの紹介をし、
早速一緒に演奏する事になった。ボクはしばし観覧。

08_09_14.jpg

しばらく“ベース抜き”で練習を続けていたバンドだったので、
ヤツがベースで入って音を出すと、皆さんとても楽しそうだった。
何曲か続けてベンチャーズ・ナンバーを演奏し、休憩。

そこで話をしていたら、なんと東ベンの曲もレパートリーにしてもらっていて、
アルバムも全部買ってもらっているし、
“バンドテクニック向上委員会”も買って、参考にしてもらっていた事がわかって、
偶然にしてはすごすぎる!!っと、ボクはかなり感動してしまったのであった(笑)。
こんな事ってあるんだねぇ。これもきっと何かの縁。

そこでここから、ボクとヤツのバンドレッスン開始(笑)。
ボクも演奏しながら、和気藹々と楽しい時間を過ごした。


やっぱりバンドはイイなぁ。ほんと・・・何度も言うけど(笑)。
いくつになっても友人達と共有できる趣味があるってのはイイ。
今日、初めて会った人達と、世代を越えて一緒に楽しめるなんて、
素敵な事ではないか。

ヤツとも今までいろいろな趣味で遊んで来たけど、
昔は“仮面ライダーごっこ”、
今は“ベンチャーズごっこ”で、腐れ縁が続いている(笑)。

昔はドロだらけでがむしゃらに走り回るだけの遊び方だったが、
今はある意味、肩の力を抜いて、贅沢に・・・だったり、
有意義に・・・だったりと、遊びでも先に意味を持たせられる遊び方が
少なからずとも出来るようになって来たようだ。

帰りには、“特上カルビ”の夕食を共に(笑)。
いつの間にか“良い物を少しだけ”注文するようになったボク達の、
今日の結論・・・。


「俺達、大人になったよな。」


友情に、乾杯・・・(笑)            おしまい。
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だらだらと1日の事を書いてみる。 [その他]

今年も早いもので、もう8月。
ここ数日は、やれ夏日だ、やれ猛暑日だと、
メディアは地球温暖化が深刻な状態である事を匂わせつつ、
だからと言って今更エコだエコだと騒がれても、
いろんな事を我慢するとまた秋葉原の通り魔みたいなヤツが出て来そうだし、
ガソリンは高いし、物価は毎月のように上がるし、全然ヤセないし(笑)、
もうどうして良いのかわからない“DON”清原。(ーー;

エドさんはと言えば、

『こうなったらさ、ガソリンなんて分り易いようにリッター200円にしちまえ!』

なんて、江戸っ子丸出し発言(笑)。
エドさんは、何に対しても向かって行く姿勢を崩さない(笑)。

ガソリンの値上げと言えば、8月1日よりまた値上げ。
そのためだろうが、車の交通量がどんどん減って来ているようだ。

8月1日、ボクは新潟への帰省から戻る奥さんと巧斗くんを迎えに東京駅へ車で向かった。
前々回に都内の渋滞が減っている事をここでも書いたが、
どうしてもいつもの癖で時間読みをしてしまい、その時間に出発。
高速道路でも良かったのだが、どうせ渋滞も無かろうと、
のんびりと一般道を走って行く事にした。高速道路料金の節約にもなるしね(笑)。
いや・・・でも今だと、ガソリン代が高いから高速道路を使って走行距離を短くした方が得か?
・・・う〜ん・・・考えるのが面倒だから当初の計画通りで行こう・・・と(笑)。
するとやはり以前なら必ず渋滞のあった路線が予想以上にガラガラで、
なんと待ち合わせ時間=15時20分・・・より1時間近くも早く東京駅に着いてしまった。

東京駅付近だけは車が多く、また、現在はあちこち工事をしているので駐車が困難だった。
そこでボクは少し足を伸ばして御茶ノ水の楽器店まで行く事にした。
御茶ノ水でいつも使っているピックをまとめ買いして、戻って来るだけなら十分に時間はある。

いつもの楽器店でピックを50枚買って(笑)御茶ノ水から戻ると、
丁度東京駅へ続く高架を新潟発東京行きの新幹線が徐行で走って行く所が見えた。

「E4系ではなく、E1系Max(リニューアル色)だったか・・・。」

電車好きの巧斗くんに鍛えられ、ボクは結構電車に詳しくなっている(笑)。
新幹線は定刻通りに東京着。こちらの車も予定通りの東京駅着だ。

「よし、完璧っ♪」

東ベンの仕事で、いろいろな所へ車で行く機会があったけど、
そのおかげか、“車移動の時間読み”がかなり得意になり、正確になった。
でも、エドさんの時間読みを聞くと、
いつもボクの読みの半分以下の移動時間になっていて驚くけど(笑)。
それでも、ボクはごく一般的な走行をしていると思うので、
どんだけエドさんが“飛ばし屋”なのかがわかる(笑)。

さて、無事に新潟から戻った家族をピックアップして、
帰路は高速道路を使う事になった。
巧斗くんが、

『レインボーブリッジ渡って帰りたいぃ〜!!』

と、駄々をこねたからだ(笑)。

仕方がないのでレインボーブリッジを渡り、高速湾岸線に入った。
お台場の辺りは夏休みだという事もあって、車も多かったが、
渋滞という程の箇所もなく、本当に拍子抜けする程すんなりと走れた。

そのまま羽田空港〜横浜ベイブリッジと通過。
ここで、ふとボクは思い出した。

「そういえば今夜はプロ野球のオールスター戦、横浜スタジアムじゃなかったっけ?」

真直ぐ帰宅するつもりだったが、予定変更。
山下町で高速を降りて、横浜スタジアムへ向かった。
いつもの立体駐車場に車を置き、中華街を抜けて歩いて行くと、
スタジアムでは試合前のホームラン競争が行われているようだった。
様々な球団ユニフォームを着たファンが大勢いて、本当にお祭りのような賑やかさだ。

外野の自由席でも余ってないかと思っていたのだが、
いくら人気が落ちたプロ野球とはいえ、そこはオールスター戦。

“本日の入場チケットは完売しております”

の看板に「そりゃぁ、そーだよなぁ・・・」と諦め、
巧斗くんにオールスター戦限定グッズのカードセットを買ってあげて、
スタジアムを後にした。

しかし、せっかくここに来たのだからと、
夕飯には少し早い時間だったが、ボク達は中華街で食事をする事にした。
そこそこ名の知れた店で、飲茶では何度か入った事のある店だ。
いつのもようにコースではなく、食べたい物だけを注文したが、
結構な金額した割には、それに見合った味ではなく残念だった。
頭にきたので、そこから皇朝(07年9月7日のブログ参照)へ向かい、
肉まん10個とコロッケ6個をお土産に買った(笑)。

皇朝で買い物を済ませた頃、空はすっかり夕暮れに染まっていた。
周りを見ると、どうも浴衣姿の若い女性が多く見られたので、
近くで祭でもあるのかと思った。

『中華街の祭?・・・いや、花火大会か?』

そう考えながら車を止めている駐車場へ向かうと、
浴衣姿の女性達は、山下公園に向かっているのがわかったので、
やはり花火大会だなと思い、ついでに見て行こうとなった。

山下公園に着くと、すでに沢山の人達が海の方に向かって場所取りをしていた。
ボク達は長居するつもりはなかったので、やや後方の離れた場所に座った。

花火は、それから間もなく打ち上げられた。
東ベンのクルージング・ライブをやった時の発着場所だった“大さん橋ふ頭”の方向で、
山下公園から海に向かって左方向。
大さん橋ふ頭には大型客船が停泊していたが、その船のイルミネーションと、
その左に見えるヨットの帆のような形をしたインターコンチネンタルホテルなどの
灯りも相まって、なかなかの物だった。
08_08_01.jpg

今月16日には、世田谷区たまがわ花火大会のイベントとして、
東ベンの野外ステージ・ライブの予定がある。
昨年は神宮花火大会に出演したけれども、その時は花火を見ないで帰ったので、
今年のたまがわ花火大会は見ようと思う。
というか、今回は花火大会が終るまで交通規制で絶対に帰れないらしい(苦笑)。
ステージのすぐ近くから打ち上げるようだから、すごい迫力だろう。楽しみである。

というわけで(笑)、8月最初の1日はこんな感じで過ごした“DON”清原であった。 おしまい。
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これが本当の“電線マン”! [その他]

ちょっと前の話しなんだけど、
今まで見た事の無かった現場を目撃してしまったので
その話しを少し書こう。

横浜の自宅近くには、かなりの高さがある高圧線の鉄塔が建っていて、
それは小高い丘や低い山の中腹部にもあって
そこを電線が引かれて遥か先まで続いて行っているのだけど、
その時は近くの坂を歩いていて、ふとボク視界の上の方に黒い点が見えたのだ。

『あれ? なんだろう・・・』

そう思いながら目線を上にやると・・・

『うわっ! これは!』

はるか上空の電線に、人らしき黒い影がふたつ・・・。
地上何メートル程になるのか・・・。
おそらく、50メートル?いや、それ以上か・・・とにかくすごく高い所だ。

鉄塔と鉄塔の間は何百メートルも離れていると思う。
その間に張られた何本かの電線の内、一番高所にある1本にひとり、
別の1本にひとり、それぞれで何かの作業をしているように見えた。

よく見ると、そこにいる人達の足元には
畳1帖程の大きさがある網らしき物が見えたが、
例えば囲いのあるゴンドラ風の物とか、
ガイドとなるような太い補助ロープのような類いの物は何ひとつ見えない。

つまり1本の電線から不安定であろう小さな網を吊して、
その上に立って何かしらの作業をしているというわけだ。

その時思わず写メを撮ってしまったが、その画像がこれである。

08_07_18.jpg

どうだろうか、めちゃくちゃ恐そうではないか!(((((><;)))))

下から見上げてこんな感じだから、現場からはどんな眺めなんだろう。
自分の命は、もはや電線1本にかかっている・・・という感じだ。
掴まれる物も電線1本。囲いも無ければしっかりとした足場もない。
むしろ、足元には小さくてグラグラと不安定な網状の“板”しかないのだ。
網状だから、そこからも下は丸見え。これは恐過ぎる!!

高所恐怖症の人はもう文章だけでも卒倒してしまいそうだし、
ボクは決して高所恐怖症ではないが、ジェットコースターくらいなら楽しめるボクでも、
あれは無理だ。絶対無理だ。1000万円でも無理だ(笑)。

ロープーウェイの屋根に乗って高所での点検作業をする人とか、
レインボーブリッジのような大きな橋の一番上に昇って作業する人とか、
東京タワーの照明の電球を交換する作業をする人とかをテレビで観た事があるけど、
それよりこっちの方が、ボクは数段危険な感じがした。

しかもあの人達は、あの高さで作業をしながら、
何百メートルも自力で移動し続け無ければならないのだ。
そう、次の鉄塔まで辿り着かないと、下に降りる事は出来ないからだ。

「作業中に強い風でも吹いて来たらどうするのだろう・・・・・」

そんな事を考えて見ていたら、本当に寒気がした(笑)。

そう思うと、あの人達は凄いなぁ・・・と。これはヒーローだな・・・と思えた(笑)。


「あんな高い所で、しかもあの程度の装備だけでの作業、恐くはないのですか?」
『もう慣れてしまってね、何とも思わんですよ。逆に絶景を眺めてストレス発散にもなるしね。』

インタビューでもしたら、きっとこんな感じの答えが返ってくるのだろうな・・・。
いやはや、世の中には凄い仕事をしている人達がいるものです。

そういえば・・・

あの電線、どうやって張ったのだろうか・・・?????
誰かわかる人、います?  おしまい。
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